女王様から、奴隷まで。
こんばんは、京子です。
熱帯夜にこそ、涼しいお部屋でスケベな妄想を是非。
以前にも私の好むフェラチオは、イラマチオとの境界線にあることを書きました。
それは勿論、
長年の彼(主)からの口淫調教によって、次第に奥へ奥へと導かれた結果なのですが。
イラマチオとフェラチオの境界線は、
その行為が男性主導であるか、女性主導であるかで分かれるようです。
男性主導であれば、イラマチオ。女性主導であれば、ディープフェラ。
つまり、女性が嫌々ながら受け入れるのか、女性自ら飲み込もうとするのか。
私の場合、自ら喉奥へと深くディープスロートするので、それがいつの間にか、
もうちょっと奥にいけるよね? 飲み込んでみて? じゃああと1センチかな?
などと、優しく強引な導きによって、
喉が慣らされたというのが本当のところ。
口腔内で楽しんでいたフェラチオが、喉奥を「犯される」行為に変わるとき。
それは彼の受け身が、サディスティックなものに変わっていく瞬間。
逆に言えば、
私が主導権を投げ出し、被虐的な行為を受け入れる瞬間でもあります。
自主的に彼のペニスを弄ぶようにフェラチオを愉しんでいる時は、
彼の喘ぎや激しくなっていく息遣いを楽しむ余裕があり、
それは女王様のように「気持ちよくなりなさい」と
彼の快楽を操るような、わずかにサディスティックな気持ちがあります。
でも、受け身に変わった瞬間にその意識は吹き飛び、
「虐めてください」というマゾヒズムが顔を出すのです。
私はMです。とか、私はSです。などとキッパリと公言する方もいらっしゃるけれど、
その相反するものの境界線は、じつは曖昧なものなのでは??と思っています。
勿論、
圧倒的なM性の中に垣間見えるSだったり、
圧倒的な女王様気質の中に残るMだったりするのかもしれませんが。
その境界線を行ったり来たりできることが、
本当に性を愉しむことのような気がしています。
女王様から、奴隷まで。
自由に愉しむことは、
お相手よりもまず自分がそれを受け入れることから、なのかもしれません。
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