公開露出調教、という祝祭。
こんばんは、京子です。
昨日、表題にあることをするために、参加者を集ってみました。
・・・などと書くのは、あまりにも唐突かもしれませんね。
私は長くお付き合いをしている方と、セクシャルなシーンにおいて「主従」の関係を築いています。
それはどちらが強いることもなく、
お互いの趣向を擦り合わせていくうちに、そこに辿り着いたという印象です。
私は隷属し、
すべての意志を預けるように彼の命令するままに従うのです。
自分の意思を放棄する自由、
それが甘美な悦びにつながることを私は彼との行為の中で知ることになりました。
ここに書いているフェラチオという行為を深く探究することになったのも、彼が望むことであったから。
そしてそれが、何より自分の脳をスパークさせることであったから。
時折、思いついたように彼がいつもの行為を「誰かに見てもらおう」と思いつくのです。
そして唐突に召集をかけるのですね。
先日は、46名の方から参加希望の連絡を頂きました。
いつもの行為を誰かが見ている、ということは、いつの間にか「見せるため」に変わっていたり、
非日常性の際立つ、一過性の小さな祭りのよう。
このブログを書く前まで、「露出」というキーワードで文章を書いていましたが、
またフェラから発展したものとして、それについても書いていきたいと思います。
公開調教という官能小説の世界でしか存在しないようなリアリティにご興味があれば、
ぜひ一度、お運びください。
夜、都内のどこかの公園で、こっそりと口淫の音が響いているはずです。笑